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2020.09.09

展示会のお知らせ:hide k 1896:コンポジット・テキスタイル展:2020年10月開催

hide k 1896
コンポジット・テキスタイル展 開催
場所:gallery de kasuga
日程:2020年10月1日(木) 〜 31日(土)
*火曜日・日曜日 休み

平日 : ご予約制

ご予約時間(火曜日・日曜日は定休日)

A 12:00 – 13:00
B 14:00 – 15:00
C 16:00 – 17:00

ご予約方法 : メール or 電話 (担当:森井)
ご希望の日時をお伝えください。

mail contact@gallerydekasuga.com
tel 03.6427.7319
*当日のご予約はお電話にてよろしくお願いいたします。

土曜日 : 一般のお客様(ご予約は不要)

 

協賛

・富士フイルム
・ユニオン
・信州大学繊維学部
・早稲田大学
・朝日焼
・shun kawakami
・東レ
・三井化学
・日刊工業新聞社
・ハースト婦人画報社
・日本経済研究所
・SAMPE japan
・長野市

 

展示内容

Composite textile
コンポジットテキスタイル
・カーボンファイバー + マトリックス
・アラミドファイバー + マトリックス
・ガラスファイバー + マトリックス
・キュプラ + マトリックス
・デニム + マトリックス
・麻 + マトリックス

Application : product
適用開発中のプロダクト
・カメラ
・ドアハンドル
・ロボット
・家具什器
・茶器
・アンプスピーカー
・ギター
・ウォッチバンド
・アートピース

プロローグ

hide k 1896 ブランドの軌跡と未来
– 麻から炭素繊維まで –

こちらのPDFから全文をお読みいただけます。

麻問屋を起源として工業資材メーカーの創業

 私の家業は長野市、善光寺界隈に位置する1896年(明治29年)発祥の麻問屋を起源に持つ年1944年創業の工業資材メーカー「NiKKi Fron(ニッキフロン)」 である。
 長野県は全国有数の麻の生産地であり、中でも北安曇と上水内がその中心地である。古くは、東大寺の正倉院には、長野から献上された麻布が保管されている。長野県では、16世紀末くらいから麻の栽培を始め、18世紀後半には最盛期を迎えたという。
 江戸時代には、麻は庶民の衣料や麻袋の原料として広く利用され、また、武家の裃も麻のものが正装であった。善光寺町西部の桜小路(桜枝町)は、麻の生産が急激に増大した1700年頃から、麻の集積地として発達していった。
 麻の栽培の最盛期は明治中期頃であり、1895年(明治28年)頃には、長野県下の工芸作物として第1位を占めた。この頃、麻商人として多大なる功績を残したのが、信州麻問屋梅木屋だ。その第一の子分として活躍したのが、のちに暖簾分けによって独立し、「梅木屋春日栄太郎商店」を1896年に創業した初代春日栄太郎である。
 鉄道を使って販売地域を関東全般に拡大した栄太郎の麻問屋は、明治後期から大正にかけて順調に推移し繁栄を極めた。1924年(大正13年)には、長野麻商組合の組合長として地域経済と善光寺を中心とする観光産業の発展のため活躍した。
 その間1893年(明治26年) には、東京と長野間で鉄道が開通することにより、交易は拡大して長野市の商業的地位は著しく上昇し、麻の販路も飛躍的に拡大した。
 麻問屋の2代目春日栄太郎は、麻が軍需統制物質となり一商店で扱うことが難しくなる中で、家業の業態転換を模索していた。そして、商店から出る統制外の屑麻と価値がないとされた繭毛羽に着眼して紡糸を作り、また、合糸したものから角打ちの組紐(テキスタイルの一種)を作り、それを特殊液に含浸することで「絹麻パッキン」を上田蚕糸専門学校(現信州大学繊維学部)と共同で開発に成功し特許を取得した。続いて、絹麻パッキンの発明をもとに工業資材メーカー、日本機材工業株式会社(現 NiKKi Fron)を1944年(昭和19年)に創業した。
 日本機材は、長野県内唯一の陸軍燃料本部の監督指定工場となった。陸軍に納入された絹麻パッキンは、東南アジア地域の製油工場のポンプ類に多く用いられて、生産が本格化していった。
 その後、絹麻パッキンを作るための紡績・紡織と配合技術を活用して、素材をガラス繊維に転換していきテキスタイルの製造を開始した。そして、熱を加えると硬化する熱硬化性樹脂といくつかの無機素材を配合した特殊液に含浸したガラス繊維強化プラスチック(GFRP)によって、自動車部品を製造するトップメーカーへと発展していった。絹麻パッキンは、資源が限られる時代において、日本の伝統的なテキスタイル技術に最先端の配合技術を融合させることによって生まれた画期的な製品であり、現代の日本の繊維強化プラスチックの変遷を物語るうえで重要な位置づけとなっている。また、日本機材にとっては、繊維強化プラスチック事業へ本格的に参入していく原点といえる。日本機材は、マーケットニーズに応じて、繊維と母材(マトリックス)を転換させていくことで新型のコンポジット(複合材)を開発し製品化してきたのである。

日本機材(現NiKKi Fron)と春日秀之

 私、春日秀之は、麻問屋を創業した初代春日栄太郎のひ孫、直系四代目として生まれ善光寺界隈で育った。当時、家業の日本機材は、繊維強化プラス チック製品を主力事業とする工業資材メーカーとして麻問屋から転換を図り30年近く経過していた。
 物心ついた頃から、工場に興味をもち、色や形がさまざまな素材が、多くの工程を経て最終製品になっていく様子を見ながら、自分も素材の研究をしたいと思うようになり化学系に進学した。高校や大学時代は、長期休暇を活用して実際に工場でアルバイトをしていた。熟練のエンジニアから、教科書には載っていない繊維や樹脂を実際に見て触って体感しながら、繊維強化プ ラスチックの製造技術を習得することができた。
 1990年代の大学院時代は、資源や環境を自身の大きな研究テーマと位置づけていた。石油代替技術の開発として、一酸化炭素と水素をもとに生分解性 プラスチックなどを合成する技術の研究(Cケミストリー)に没頭した。
 いまでこそ、水素を使った社会、サステナビリティ社会、SDGs推進社会など、環境調和型社会の実現が急速に求められるようになったが、日本はこの分野の研究、特に光触媒を用いた水素製造技術の開発を代表とする環境資源対策の研究において、半世紀以上前から世界をリードしていることを忘れてはならない。
 私は、家業がコンポジットを製造しているメーカーであるが故に、かなり早い段階から繊維強化プラスチック(FRP)に触れていた。また、学生時代の研究経験により、今後の合成素材は環境調和型の素材でなくてはならない。 つまり、素材を作る時点で、環境や資源を意識した、あるいはリサイクルしやすいかどうかを考えながら研究者は設計思想をもつ必要があることを強く認識していた。
 その後、私はコンポジットの適用開発の経験を積むため・・・・・・

こちらのPDFから全文をお読みいただけます。

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